~内容~
その1 男女という性の精確な把握
その2 最近の家族論
その3 結婚制度の合理化(=契約婚)について
その4 パートナーが浮気をするときの線引きについて
その5 ポルノと春画の違いについて
その6 いわゆるおかずの序列
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性愛について(サブレジメ)
関 浩成@STUDY UNION
07年2月3日 哲学道場高円寺
はじめに
これは今回のテーマ、性愛に関するサブレジメである。補助発表の性質上、断片的なスタイルであることをもって良しとし、以下の論旨を統合してなんらかのことを主張しようという意図はない。
ただし、大まかに要約すれば、その1では、48種類の性を提唱することで性の相対化を語る。これは、その2,その3の結婚制度の改革へと展開されてゆく。その4は、性のパートナーが崩れる場合のこと、浮気についてのちょっとした疑問を書いたものであり、その5では、性愛の対象としてのモノの文化性を指摘した。その6は、ご愛敬と取っていただければと思う。
その1 男女という性の精確な把握
「性は二種類ではない。少なくとも48種類はある」
以下の要素の組み合わせが性の種類である。
・<科学指標>2種の遺伝子(XX XY)
・<身体指標>2種の性器(男性器=精巣 女性器=子宮)
・<精神指標>2種の脳(男性型脳 女性型脳)←但し、度合いあり
・<外見指標>2種の社会的性差(男性らしさ 女性らしさ)←但し、度合いあり
・<性欲指標>3種の欲望対象(男性のみ 両方 女性のみ)
→2×2×2×2×3=48
通常は最左項のみのタイプを男性といっており、最右項のみタイプを女性といっているが、それは、そのタイプが相対的に多いだけである。その他46のタイプの<性>は、決して少数派という意味ではないが、セクシャル・マイノリティーとして存在する。
その2 最近の家族論
1 80年代の家族論
①スウェーデン型(+アメリカを加味)という理想型
②「悪しき国政の名残」という論調
③
・産業の高度化が結婚を経済的・社会的手段から変質。
「そして家族をつなぎ止めるのは合いや協力、思いやりという壊れやすいもの」
「60年代の労働力不足、家事と育児の外部化が既婚女性の社会進出に拍車をかけた」
・「大家族=家」制度の徹底批判と小家族化による重圧からの解放
「家制度下では嫁は人間ではないような扱いをされた。家制度の崩壊の後、夫は外、妻は家庭を守るという性分業が形成され、限定的ではあるが地位が向上」(金城)
・1982年国際比較調査で日本の「妻は家で・・」「女性は夫や子供中心に・・・」という意識がアジア諸国と比べてでさえ高い原因は、戦前の良妻賢母教育や母性の聖化思想にあり、これは戦後の「男性=企業を帰属対象、女性=家庭の守護神」にに受け継がれた。女性のM字型就労は低賃金であるが故に企業にも有利だった。
・事実婚というライフスタイルの承認。1952年の税制改革で低所得者は結婚しても不利にならないように制度変革をしたら、事実婚が増加。1981年、20代では法定婚を抜く。
・755条契約財産制の認知。夫婦間資産蓄積に関しては二分の一とは限らない。(判例あり:医者とその妻の場合5:1など)法定財産制でなく755条を用いれば可能。しかし、認知度が極端に低い。
・男女平等、女性の社会進出で離婚率の上昇が問題視されているが、そもそも真にマッチしているのは1/3程度(注:中根千枝著作の孫引きから参照)であることからすれば問題とはいえない。有責配偶者からの離婚請求の法理は一見女性保護のように見えて男女不平等の中から生まれたもので、問題。
・妻の相続分を引き上げた1981年の民法改正の際、嫡出子と非嫡出子との相続分の平等化も検討されたが、世論調査の結果は否定的で、そして、婦人団体の反対意見で時期尚早として見送られた。
・「三歳までは母親が」も神話であり、有意な差は見られない。(根拠杉山明子の子供の作文分析)かえってプラスの効果もある。離婚も同様である。両親の体面的都合ではなく子供のことを考えるべき。
・1981年時点で、日本はタイと同様に第三世代同居率が多く(4割超)、単独世帯と夫婦のみで8割を超える他の先進国と大きく異なる。これは社会保障に優先する指摘扶養義務を掲げている(877条)からである。第三世代同居に高い高齢者自殺率(東京都内)を考えるべき。
・「性の分業」の改革が重要。男性も重圧から解放される。社会保障制度としての家族保護政策が必要。家族に肩代わりさせてはいけない。犠牲は女性や子供、高齢者となる。家族問題は労働問題。労働環境を変えることが大切。独り一人がユニークな家族を創ることも重要。
参考:林道義(深層心理・東京女子大)「家族の復権」中公新書2002
菅原真理子(総理府)「新・家族の時代」中公新書1987
金城清子(国際法・弁護士)「家族という関係」岩波新書1985
その3 結婚制度の合理化(=契約婚)について
★「あなたの定位家族(生まれた家族)の構成は?」
A女「はい。父が3人と母が2人、兄弟などが8人ほどです」
★「では、この子は誰の子供ですか」
A女「はい。B男かC男の子供だと思いますが、親権者は私とB男、そして養育権者がC男とD女 とE女です。相続権は私の財産だけです」
★「あなたとB男は子育てもせず、何をしていますか」
A女「家族7人の生計を得るために働いています」
★「E女はあまり帰ってこないそうですが」
A女「はい。Eさんは、他の家族とも複婚契約を結んでいますから、時折帰りません」
★「この男性は誰ですか」
A女「Cのパートナーであり、F(女)さんと婚姻契約を持っている方です」
契約結婚制度下の会話(イメージ)
近年、あなたにとって最も大切なものは?という質問に、家族、と答える人々が増えているようである。この個人主義が蔓延し、弊害さえ喧伝されているご時世に、家族?と思われるかもしれない。しかし、以下に個人主義が横行しようと、家族は個々人幸せのために有用な機能となることが多いのかもしれない。あるいは逆に妙に納得してしまうかもしれない。しかし、妙に納得する方々は、今叫ばれている「家族」の意味をよく知っているだろうか、あるいはその家族像の時代的な限定性を十分理解しているだろうか。
文化人類学の所見に拠れば、これまでに、結婚形態は三種類があったという。それは圧倒的多数の一夫一妻制、イスラム圏で発達している一夫多妻制、そしてごく少数の報告例がある*1一妻多夫制、である。我々の常識からすれば、結婚とは愛情に基づく男女一組が行う一夫一妻制が自然な形態であるという思いこみがあるし、また、これこそが最も発達した結婚形態だと評された時期もあった。しかし歴史的には否定的評価が主流となり(モルガン=エンゲルス仮説の反証)、また、合理的に考えるならば件の結婚形態が唯一であるとか、最も進んでいる(乱れていない)と主張するのにはなんら根拠がないように思う。
今回の講義では、日本の家族法を基礎にして、多夫多妻制が可能であるか、を考えてみる。多夫多妻制とは、男女双方が、複数の者と婚姻的関係を自由に結ぶことができる制度である。しかしこれはいうまでもないが、多夫多妻制の下では、一夫一妻の婚姻関係は排除されない。多夫多妻制は、婚姻に関する一切の規制をなくし、単に売買契約と同様の自由契約にしてしまおうという発想である。したがって、旧来どおりの婚姻スタイルを選ぶことは可能である。
本講義は、聴講者各人が、私の選択社会論(既出)の政策一つである、家族関係における選択肢の多様化に対する意見を頂戴するために開かれる。従来の結婚に加えて「結婚もどき契約」の諸制度を複数つくり、整備してゆくことが現実的であるが、ここでは、一夫一妻制との対抗馬上、一挙に多夫多妻制というものを検討してみよう。
そのためにまず、家族とは何であるかの理解を深めるべく、第一章で、家族史や家族論を軽く一覧した後、公務員試験の問題に三問挑戦していただき、民法における家族法の大まかなイメージをつかむ。次に、家族の機能といわれているものをまとめた上で、家族に関する考え方をおおざっぱに整理しなおし、私のいう契約結婚の主張がどこに位置するかを説明する。第三章では、現に他国で存在する制度から多夫多妻制を考えてみる。フランスにおけるパクス法と、イギリスにおける市民パートナー法が先駆例となる。そして私のいう契約婚とそれに付随する施策(子供を国家に直接養育させる権利、介護保険の子供への適用など)を具体的に提示する。
契約結婚制について~多夫多妻制の法律学~ 第39回 京都学術工房
「はじめに」の部分から
その4 パートナーが浮気をするときの線引きについて
一般に、浮気とは、自分の異性パートナーが自分以外の異性パートナーと関係することをいう。関係に関しては、精神的な段階から肉体的な段階まで程度によって異なるが、この異なり方と、以下の場合とは異なるような気がする。
異性/同性/動物/モノ
1 2 3
私の感覚では、123の順で浮気に対する寛容性が高まると思われるがいかがだろうか。
その5 ポルノと春画の違いについて
18,9世紀欧州で「精液は生殖のために使用すべし」として精液の浪費が戒められ、医学的にも肉体的・精神的疾患になると決めつけられた事があった。精液の浪費とはオナニスムであり、これを助長するのがポルノグラフィティであり、それは禁忌そのものであった。しかしながら、春画は禁忌の対象や快楽としての性に限定されることなく、逆に出産や育児、子どもの存在などの日常性が支配しており、ポルノが有する西欧的な地域性ではかることはできないものである。
また、西欧のポルノは、情景と体位を中心に描かれる窃視的なものであるのに対し、春画は、性器の結合とクライマックスを中心(=乳房への無関心)に描かれる。また性器をアンバランスなまでに誇張する春画には、明らかに「笑い」の要素が入っている。
参照:江戸の春画 白倉敬彦 洋泉社新書
その6 いわゆるおかずの序列
生異性、動画音声、静止画、音声、活字、記憶・想像力、摩擦なし、この順番で、高尚な「おかず」となる。ような気がする。